秋の訪れを感じる赤とんぼ
赤とんぼといえば「秋」というイメージを持ちますよね。
最近はめっきり飛んでいる数も減っていますが、赤とんぼが飛んでいると「秋がきたな~」と感じられます。
そんな秋の訪れを感じられる赤とんぼですが、歌を歌ったこともあるでしょう。
子供のころには間違いなく歌ったことがある方も多いと思いますがその意味をしっていますか?
なんと秋の訪れを感じられる歌には大きな意味があったので紹介をしていきたいと思います。
赤とんぼの童謡の歌詞
そんな赤とんぼの童謡ですが、歌詞を全部言えるかといわれると正直難しい・・・。
そこでまずは赤とんぼの歌をおさらいしていきましょう。
夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか
十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
作詞:三木露風
作曲:山田耕筰
この2人による日本の童謡・唱歌となっており今では日本中の人だれもが知っている歌となっています。
この三木さんは元からいろいろな才能をもっており、小・中学生時代から詞や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿たりしていました。
他にも17歳で処女詩集を、20歳で代表作の「廃園」を出版するなど詩人をしての才能がある人だったのです。
ちなみにこの歌詞は1921年に出版をされた「眞珠島」に掲載されたものがこの赤とんぼの歌詞となっていますね。
歌詞の意味
そんな歌詞の意味なのですが、作詞家の三木露風さんの幼少期を描いたものだといわれています。
場所はが故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごし場所がイメージとなっています。
幼少期の三木さんは両親が離婚をすることになりました。
それ以降は、母親とも生き別れてしまったため祖父に育ててもらうという辛い経験をしているのです。
その祖父に育ててもらい面倒を見てもらった時の姿を歌詞にしたのがこの赤とんぼの歌の歌詞の意味だといわれています。
例えば、この歌詞の一節「負われて見たのは いつの日か」ですが、子守の際におんぶをしてもらいその時に見た夕焼けを歌詞に描いていると言われていますね。
「十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き」も一緒に育ててくれたお姉さんのことを指しています。
この姐やも若いうちに嫁いでしまいました。
当時は農家という仕事が当たり前で若くてもずっと農家で働かなければならない。
そして、この当時の農家は貧乏だったので一生働きづめだったことが予想をされますね。
「お里のたよりも 絶えはてた」の意味は嫁いだ姐やが嫁に行ってからはお手紙も来なくなったという意味に思いますが、ほかにも意見があります。
他にも姐やから三木露風への手紙、母親から三木露風への手紙などいろいろな意見があります。
結論を出したくなるのですが、歌の歌詞は人それぞれとなりますし見解も様々となりますのでしっかりと理解をしておきたいというのが正直なところですね。
(参考:Wikipedia「赤とんぼ」)
まとめ
普段何気なく、聞いている歌なのですがこうやって意味を調べてみるとなんか悲しい・・。
でも、三木露風さんにそんな経験があったからこそできた詩で現在も語られている、歌われている歌なのでとても印象に残ります。
私も意味を知らなかったのですが、これから赤とんぼを見ると「姐や」のことや「おんぶをされている三木露風」のことが想い浮かびそうな印象ですね。
海外でも知られているjapanese songはこれからも歌われていくことになるでしょう。