大晦日の風物詩 除夜の鐘
除夜の鐘と聞くとどんなイメージをもちますか?
この1年の終わり、年末の風物詩、大晦日などその1年が走馬灯のように流れていくことをイメージする方も多いでしょう。
私も毎年NHKの「いく年くる年」を見ながら「あ~今年も一年が無事におわったな」なんて思っていますが、そんな年末の風物詩として根付いている除夜の鐘について今回は記事を書いていこうと思います。
なぜ鐘を鳴らすのか?
なぜ回数は108つと決まっているのか?
除夜の鐘をならす由来についてなどあまり知らない方も多いと思いますので紹介をしていきましょう。
除夜の鐘とは?
除夜の鐘くらいは日本人たるもの知っていると思いますが、念のために説明を書いていきたいと思います。
除夜の鐘とは、
日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。
(引用:Wikipedia「除夜の鐘」)
こんな風に書かれています。
除夜の鐘は日本の仏教行事の1つといわれており、大晦日である12月31日に様々なお寺が鳴らす鐘のことをいいます。
いろいろな地域差はありますが、除夜の鐘は大晦日から元旦の夜にまたがって鳴らす寺院の鐘のことを言います。
寺院に置かれている鐘は「梵鐘(ぼいしょう)」とよばれており、除夜の鐘専用ではなく基本は朝夕の時報や法要の開始を知らせるために鳴らしているといわれています。
除夜の鐘の意味と由来
除夜の鐘を鳴らす意味は、除夜=徐日という意味があり古い日という意味にとることができます。
つまり、大晦日は古い日とされており、一年の最後の日として締めくくるには最適な日にちといえます。
大みそかは徐日という意味がありますのえで、その夜にたたかれる鐘をきいて新しい年を迎えましょうということですね。
大晦日は一年の最後の日で、古い年を除き去り、新年を迎える日という意味から「除日(じょじつ)」と言います。
大晦日はその夜なので「除夜」や「除夕」と呼ばれたりもしますね。
除夜の鐘の回数は108はなぜ?
除夜の鐘の回数はなぜ108なのでしょうか?
正直個人的にはこんな中途半端な数字ではなくキリよく100とかでもよいと思っているのですが、それではダメだという理由がありますので紹介をしていきましょう。
実は除夜の鐘を108回打つというのは諸説ありますので「これ」という理由は見つかっていませんのでいかに参考になる説について書いていきたいと思います。
・人間には108の煩悩があり、その煩悩の数だけ鐘をたたき煩悩を追い払うという説。
・中国では昔から108という数字を大事にしており1年の12か月。二十四節季、七十二候すべてを足すと108となるいう説。
私も最初の説はしっており最もスタンダードな理由として祖母からも聞かされたことがある理由になります。
多くの人は108回鐘を打つのは人の煩悩を取り払うために行っていると言い伝えられていますが、なんか中国の理由もたしかに納得できる理由のような気持ちにもなりますね。
この2つの説が有力なのですが、108回鐘をたたくということは決まっています。
人や地域によって理由は異なりますので、2つ知っておいて損はないでしょう。
また、中には面白いお寺があります。
煩悩を取り除くために107回までは大晦日(年内)にたたき、最後の1回のみ1月1日の元旦にたたく場合もあるそうです。
考えや有力な説に関してはいろいろとありますので一概に決まってはいませんが、どちらも有力な情報として知られていますのでしってきましょう。
除夜の鐘はうるさいためクレームも多い?
除夜の鐘は大きな鐘を鳴らす風物詩となっていますが最近問題となっていることがあります。
それは「うるさい」というクレームです。
もちろん日本人としての心を持っている人ならば除夜の鐘は「年末年始の風物詩」と思って聞いていられるのですが、神社や仏閣の傍に住んでいる人からすると年末年始に騒音で仕方がないという意見もあるほどです。
特にお寺の多い京都や大阪、東京など人口の多い都市の場合はクレーム多く、除夜の鐘を毎年していたお寺も近所からのクレームで最終的にはやめてしまったというお寺もあります。
日本の古き良き時代の風習が、クレームという形で消えていくのはさみしいものですね。
クレームでしらべてみるとこんなニュースを見つけました。
東京にある100年以上の歴史を持つ「千手院」は住宅街に囲まれており、近隣からの苦情で中止を決めた。
他にも地域からの苦情も多く、大晦日の夜にならすべき除夜の鐘をお昼や夕方に済ませてしまうという方もいますので、なんかさみしいです。
まとめ
異常が除夜の鐘についての情報となります。
基本的には毎年この除夜の鐘をきくとこの1年の振り返りになりますし、新たな年へ向けて頑張ろうと思えるのでですが時代の流れと共にクレームにつながっていることには驚きました。
個人的には日本の伝統的な行事なのでクレームがあってもがんばって続けてほしいと思いますが、お寺の跡継ぎ問題もあるので、将来的にはなくなっていくかも・・・と思うと寂しいものですね。